Monthly Archives: 6月 2016

学会(1)

学会シリーズ始めましたいつまで続くかわかんないけど笑
認知心理学会@広島大学へ行ってきました。
認知心はここ2年ほど行ってないし,やめたほうがいいかなーと思っていた矢先だったが,会場が広島と聞きためらうことなく参加を決定したのだ笑
ただ,やっぱり最新の知見とかはワクワクするものがあります。どの分野の研究においても。
個人的に一番面白かったのは,目撃証言の話。慶応大学の三浦大志先生のご発表だったのだが,ざっくり言えば,目撃情報を言語的に報告した後にその時の状況の絵を描くと,言語的に報告されなかった新たな情報が出てくるぜ,しかもそれは認知スタイルが視覚型(イメージ的に認知するタイプ)で顕著だぜ(vs言語的認知スタイル),という研究。
絵を描くことの有効性はこれまでも示されていたけど,その個人差として認知スタイルが結構重要になる,ということを示したことがこの研究の新しい点。
実は,ゼミの後輩も描画による目撃情報の精度向上みたいな話を修論でやっていて,それに親近感があるから面白いと思っていた可能性も・・・笑
ちなみに,三浦先生はついに博士号を取得されたそうです。おめでとうございます。

まあでもやっぱり観光でしょ!
ということで,宮島へ。
前回も宮島に行ったのだが,その時は厳島神社と水族館しか行けなかった。
今回目指すは登山じゃ笑
ただ,宮島の面白いところは実は島に行く前から始まっているのだ。
宮島へ行くための船が出る場所である宮島口駅のすぐ目の前に,結構有名なあなごめしのお店がある。店名は,うえの。結構ボリュームがあるので,割とお腹いっぱいになります笑
ちなみに,JRを使うとまあ広島市内から30分ほどで着けるのだが,時間があるなら,市内から広電(路面電車)にずっと乗ってくという手もある。

船に乗って宮島に着いたら,まず鹿と戯れる。鹿はくさい笑
でもあいつら全然人を恐れない。撫でても無心に葉っぱ食べてる。ふてぶてしいやつ笑
船降りてから宮島まで商店街っぽいところ(表参道)を歩いてくのだが,いたるところで焼き牡蠣とかが売ってて結構面白い。あと,しゃもじを奉っている。
ここにきたら食べたいなーと思っていたのは焼き牡蠣と揚げもみじ。調べたらあんまりメジャーじゃなさそうなんだけど,にぎり天もすごく美味しそうでした。
でも,うえのでお腹いっぱいになっていたのでとりあえずスルー笑
帰りに食べようという作戦にでたのでした。

表参道を歩いていくと厳島神社につくのだが,ちょうど潮が引いていて,鳥居まで行くことができてよかった。
鳥居の下の方はフジツボびっしり。お金もびっしり笑

いよいよ神社,にはいかなかった笑
前回も行ったし他にも目的あったし笑
その目的とは,登山じゃ笑(どんだけ登山推しだよ笑)
ロープウェイを使って山の上の方まで行けるのだが,ロープウェイまでの道のりが結構しんどい笑
無料送迎バスも出ていたのだが,せっかくだし歩いて登ってみた。
体力に余裕があれば,歩いた方がいいかもしれない。
というのも,滝があったり森の中のちょっと開けたようなところがあったりして,いい感じの景色を楽しむことができるのだ。
もみじも多くて,秋とかは綺麗なんだろうなー。

ロープウェイはかなり高いところまで行く。
しかも,途中に乗り継ぎ駅がある笑
乗り継ぎ駅からのロープウェイは割と距離は短いけれど,視界が広いところを通るので,晴れていれば,海と島を見渡せる。晴れていれば。
行った時は霧がすごくてほぼ何も見えませんでした笑
ロープウェイの終点には展望台がある。それだけ笑
晴れていれば綺麗なんだろうけど,霧でした笑
まあ,何となく達成感はあるよね笑
帰りのロープウェイは若干霧が晴れていて,景色は薄く見えたのでまあよしとしよう笑

やっとお腹も空いてきて,表参道で食べ歩きしよーと思ったら,どの店も閉まっていてしょんぼり。
宮島って閉まるの早いのね。
潮が満ちていて,鳥居がいい感じだったのでよしとしよう。

でも,なんだかんだいって楽しかった宮島!
今回は行ってないけど,水族館もあるし。
また学会あれば行くでしょうきっと笑

広島の株がうなぎのぼりです私の中で。
北海道に並ぶ2大巨頭笑

宮島では食べてないけど,そのあと生牡蠣も焼き牡蠣も食べれたし,辛つけ麺も食べたし,楽しかったー。
以前行った,kazumaruというお店がなくなってたのはちょっと残念でしたが。

ちょっと真面目な話をすると,学会に行くことで,全然面識がなかったり,分野的に異なる先生方と関われる機会は重要だと再確認。
研究そのものに様々なコメントをいただけたのはもちろん,そのあとにプライベートでいろいろなお話を聞かせていただいたのもすごく自分にとってためになりました。

闇の大三角形(Dark Triad)

Furnham, A., Richards, S. C., & Paulhus, D. L. (2013). The dark triad of personality: A 10 year review. Social and Personality Psychology Compass, 7, 199-216. doi:10.1111/spc3.12018

Paulhus, D. L. & Williams, K. M. (2002). The Dark Triad of personality: Narcissism, Machiavellianism, and psychopathy. Journal of Research in Personality, 36, 556–563. doi:10.1016/S0092-6566(02)00505-6

最初に投稿したブログ記事(ナンパのやつ)は,Dark Triadというパーソナリティ概念についての論文。でも,Dark Triadについてはさらっと説明しただけだったので,ここで改めて説明したいと思います。

発端は,Paulhus & Williams (2002)じゃ。端的に言うと,マキャベリアニズム,ナルシシズム,サイコパシーに共通点が多く見られ,これらはDark Triad(闇の三つ組み。中二病が再発しそうだ笑)という一つの概念として確立できるんじゃないの?というもの。ちなみに,この論文では,“共通要素はあるが,それぞれ異なるものとして分離できる”と結論づけている。

まず,サイコパシーの説明。サイコパシーは,共感性の欠如,他者操作性,不安定なライフスタイル(衝動性),反社会的傾向によって特徴づけられる。特に,最初の2つがサイコパシーを特徴づける。ちなみに,後ろの2つは反社会性パーソナリティとオーバーラップするといわれる。こいつらは他者を騙すので,サイコパシーの程度を測定し診断するのも容易ではない。訓練された専門家が半構造化面接によってサイコパシーを測定・診断する。はずだったのだが,現在は自己報告式の尺度も開発されている笑
次に,ナルシシズム。自己愛性パーソナリティ障害として,臨床分野でも研究がなされてきたが,この特徴は健常群にもパーソナリティ特徴として当てはまる。具体的には,尊大さ,自己顕示欲,特権意識など。測定は質問紙で行うことが可能。
最後にマキャベリアニズム。ナルシシズム,サイコパシーが臨床的な側面から研究されてきたのに対し,マキャベリアニズムは理論的に概念化されたパーソナリティである。君主論で有名なマキャベリが由来。過度な自己中心性と自己のための合理的判断を特徴とする。マキャベリアニズムを測定する尺度は,マキャベリの文章をベースに作成された(らしい)。

では,これらはどのような側面で共通するのか?
1つは,冷淡な感情と他者操作性。これはサイコパシーの中心的特徴であるが,同時にDark Triadの他2つにも当てはまる。Dark Triadは他者に共感性を示さず,自分の目的のために他者を“道具的に”扱おうとするという特徴がある。研究者によっては,冷淡さと他者操作性がDark Triadの核であると主張する。
2つめは,5因子モデル(Five Factor Model: FFM)との関連。FFMは,世界的にも共通するパーソナリティ特性のモデルであり,パーソナリティは5つの側面,すなわち,経験への開放性(openness),誠実性(consiousness),外向性(extraversion),調和性(agreeableness),神経症傾向(neuroticism)から構成される,というものである。Dark Triadの各側面は,この中でも特に調和性と負の関連を示す,つまり,Dark Triadは調和性が低い,ということが共通している。
3つめは,短期的な配偶志向である。恋愛関係や結婚関係は,一般的に長期的な関係を想定しているだろう。このような交際形態に対して,一夜限り(または浮気など)の性関係や恋愛関係が短期間で変わっていく交際形態がある。前者は長期配偶,後者は短期配偶と呼ばれる。Dark Triadは,短期配偶を行うことが共通している。また,交際経験や性的関係が多いことも指摘されている。
そのほかにも様々な共通性が見られる。道徳性の欠如,嘘をつく,自己中心的など。

しかし一方で,各々の独自性もある。
たとえば,反社会的行動はサイコパシーで際立つ特徴であるし,自己賞賛欲求はナルシシズムに特有である。また,マキャベリアニズムはシニカルな世界観(こんな世界どうでもいいだろ,みたいな考えと理解している)と戦略的操作(自己の利益を最大にするために他者の道具的扱いの方法を熟考し行う)が特徴である。

こう考えると,共通する側面は実は,表出された行動や志向が単純に似ていただけで,それぞれの行動・志向の表出の下にある原因が異なっている可能性がある。
Dark Triadという概念について研究がされ始めたころは,各3パーソナリティの総計をDark Triad得点として扱い,これが他の変数とどのように関連するのかが示されてきたが,最近ではむしろ,Dark Triadの各側面を説明変数とした重回帰分析で関連を示す研究が多いように感じる。重回帰分析で算出される偏回帰係数は,ざっくり言えば,“当該の変数のうち他の変数と共通する要素を統制した,当該変数特有の効果”を示す。つまり,サイコパシーの偏回帰係数は,サイコパシーと共通するナルシシズムの要素,また,サイコパシーと共通するマキャベリアニズムの要素を除外した,サイコパシーのみの効果を示す。

これらの研究から,Dark Triadの各側面が他の変数に対してそれぞれ特有の関連を示すことがわかった。
たとえば,攻撃行動は,サイコパシーは衝動的に攻撃する一方,ナルシシズムは他者に自己概念を脅かされた時に反応的に攻撃し,マキャベリアニズムは自己の利益のために計画的な攻撃を行う。
まあ,そもそもPaulhus & Williams (2002) では3パーソナリティは分離できるという結論だったしね。
ちなみに,Furnham et al. (2013)も(たぶん)分離できる派。

ここからは私の解釈。私は分離・共通の判断ができるほど勉強できていないので,この判断は避けるが,なんとなくこんな感じがする。それは,
マキャベリアニズム:人のことは気にせず自分のことのみ合理的に,系。
ナルシシズム:ねえねえ構って構ってこっち見て!系。
サイコパシー:衝動的なへいへいやっちまえー系。

ちなみに,Dark Triadにサディズムを加えたDark Tetradという概念も提唱されつつあるのだが,それはまた今度(書けたら)書こうと思います笑

統計について思うことをつらつらと

統計解析はおもしろい。そして、基本的な分析はだいたい回帰分析の応用なのだ。そう考えるとわりと同じ次元で理解することができる(気がする)。もちろん、SEMは最小二乗法ではなく最尤法だったり、コレスポンデンス分析などのカテゴリカルデータの分析はよく理解していないのだが、心理学一般で使われる予測・説明の分析はだいたい回帰分析の枠に収まる。
特に、差の検定の代表である分散分析も同じ枠組みっていうのは学部での授業から考えればなかなか衝撃的な話。分散分析のキモは交互作用だと思ってるし、心理学はたとえば2つの対立する理論は第3の変数による交互作用効果の結果として考えられてきた経緯があるので、まあ学部では分散分析を教えるとこから始まる。

ただ、授業で教える分散分析よりも回帰分析の枠組みで交互作用を考えたほうがより精密な結果を提示できる。
しかも、回帰分析の枠組みであっても視覚的に原理を示すことは可能だし、わかりやすさの点からいってもさほど変わりはないのではないかと思う。
交互作用だけではなく、説明率、偏回帰係数、因子分析など重要な指標を統合的に理解できるし、媒介分析、マルチレベルモデルなどの最近多く使われる手法にも応用できる。
あと、回帰分析の枠組みがちゃんと理解できていれば、因果を明らかにする分析なんてあほな説明はなくなると思う。

みたいなことを考えてると、はじめに分散分析を教えるメリットってないよなあ。むしろこれを先に教えることで、統合的な理解の妨げにすらなる気がしている。
その点、心理統計学の基礎(南風原2002)はとても素晴らしい基礎の教科書だと思う(これをベースに勉強したからこういう考えを持ったというトートロジー的な側面ももしかしたらあるかもしれない笑)
ぶっちゃけこの本は1人で読むのは難しい人はたしかに多いと思うのだが、そんなのは教える人によってどうにでもできるんじゃないかなと思っている。

なので、ここまでの結論としては、回帰分析をまず理解すればだいたいの統計手法に応用できるし、統計の教育もそれをベースにすればいいじゃん、ということ。

ここで問題になるのが、統計的仮説検定そのものが否定され始めているという現状笑
mcmcでリサンプリングしまくってこっちで分布作ってしまえばよくねって話(だと理解している)。
この発端はp値による議論に対するアンチテーゼだったよな確か。ベイズ推定の考え方は、確かに直感とマッチしているのでそれだけ聞くとわかりやすい。
が、統計的仮説検定の枠組みを知っていないとベイズ推定の枠組みってわかりにくいんじゃないかな。
そして、だいたいベイズ推定の議論では統計的仮説検定がだめだ、という前提があるように思う。
具体的にやり玉にあがるのは背理法的考えと最尤法。
まず、背理法的考え方の問題は直感にマッチしないだけなんじゃないかな。ただし、ユーザーの問題として、p値の過大視と、nsだった時に関連がないと言い切る(言い切らざるを得ない)ことが挙げられると思う。これは結局手法の問題というより研究者の研究姿勢にかかってる問題であって、p値や背理法そのものに対する本質的な問題ではないように思う。
次に、最尤法の問題は、分析不可だったり、間違ったとこを最大尤度としちゃうとこだろうか。
ただ、そんながたがた分布を再構成し直して、ちょっと複雑っぽいモデルを解釈することにどの程度の意味があるのかが今一わからない。もちろん現実の分布はきっとがたがただろうし、現実に即していた方がいいに決まってる、という話はその通りだと思うのだが、それを言い始めると、最終的には個人差を細かくし過ぎて結局よくわからんみたいな話になりそうな気もする。
ニューラルネットワークも認知心理の枠組みというよりもはや神経生理の枠組みみたいな感じだし、心理学が示すのはいわゆるモデルであって、現実をそのまま描くのとはちょっとことなってもいいんじゃないかな。
そうはいっても、全体のモデルが示された上でそれに当てはまらない個人差を地道に説明している段階が現状だと思うので、やはり個人差とかより現実に即したものを示すことは重要だと思うが。

ここまでで思うところは、確かにより現実に即した結果は重要だし、ベイズ推定は統計的仮説検定に比べるとより効果的だと思う。
だが、統計的仮説検定は無意味ではなく、それゆえ統計的仮説検定を排除していくということに疑問を感じる。

そもそも、ベイズ推定はより現実に即しているのか?
単純に、手持ちのデータからランダムにサンプリングをすることを繰り返すだけなのだから、元のデータが偏っていたら結果も偏るだろうし、その場合この点においては統計的仮説検定と違いはない。
それに、ベイズファクターによるモデル評価は、結局基準が便宜的に定められているので、統計的仮説検定におけるp値と、その閾値の厳しさの程度はあれど、本質的な違いはないのではないだろうか。
こう考えていくと、ますます統計的仮説検定の排斥は方向性としては極端かなとも思ったりする。

ただ、ベイズの話はしっかり理解しているわけではないので、間違った解釈も多々あると思う。
そう考えると、やっぱり知る必要がある。
知らないのと知っていて使わないのとでは圧倒的な違いがあると思う。それに、自分がこう思うから統計的仮説検定(ないしベイズ)は教えない、というのは、学生にとってはそうではない可能性を踏まえれば、やはり客観的な視点でちゃんと全部教えた方がいいよなあ。それに、なんだかんだベイズは発想としてすごいと思う笑

あと、やっぱりベイズにしろ統計的仮説検定にしろ、統計そのものがおもしろいんだよなあ笑
だからがっつりはまってがっつりやりたいけど、統計のおもしろさを知ったのは統計(計算)そのものではなくそれをツールにして何かを明らかにする、みたいな側面があったからだから、多分統計そのものをやってしまったらつまんなくなっちゃうかもなー。
あと、個人的な嗜好としては、統計ソフトにモデルを入力し、それがアウトプットされることにカタルシスを覚えるという側面もある笑

ただ、常に気をつけておきたいのは、研究は研究者の研究手法に依存し、統計は結果を裏付けるための手段に過ぎない、ということ。
これを忘れると心理学者ではなくなってしまう。まあそれが良いか悪いかはわからないが、少なくとも私が生きていける領域ではない笑